いつだっけか、こんな事を書いた事がある。
オレが勝手に思ってるんだけどアイザック・アシモフ、A・C・クラーク、ロバート・A・ハインラインはSF作家の御三家。
ここにレイ・ブラッドベリを加えるとSF四天王。
他にもSFの大家は居るし、まぁ、オレが勝手に思ってるだけなんで、異論があるかもしれないけどww
例えばフィリップ・K・ディックなんかはいくつかの小説が映画化されてるし、ファンも多いけど、う~ん、オレの中ではあの人は異端ww
今回は御三家でもないし四天王でもないけど、SF界のアナーキスト(オレが勝手に名付けた)J・P・ホーガンの『断絶への航海』の話を書いてみようか。
ホーガンというと一番に思い浮かぶのは『星を継ぐもの』・・・。人類の成り立ち、進化をSFの視点で描いて、読後も深い余韻が残る傑作。かなり気に入った小説で、もちろんオレの評価は☆5個。当然、ブクログにも記録してる(確認してみたら、この本を読んだのは2012年だった)。
って事で、久しぶりのSF、『断絶への航海』の感想を書いてみよう。
先日だけどtwitterでこういうリプをもらった。
暇だったので「好きな小説の中からお気に入りのフレーズ」をtwitterで呟いていたんだけど、こういうのを頂いたわけ。
断絶への航海?
聞いた事のないタイトル・・・。
チャッチャとwikiさんで調べてみたら、これがなんとJ・P・ホーガンの作品。
ホーガン=『星を継ぐもの』ってイメージだったから、ここで知らないタイトルが出てくると俄然興味が湧いてくる。
好きって言わせるほどの小説なんだから、面白そうじゃないか。
オレの答えは・・・
読んでみる!
さっそくAmazonで検索だ。
さっとく読んでみたぞ。
最近は伊坂幸太郎だとか軽めのミステリーを読んでたけど、今回は久々のハードSF。
この『断絶への航海』・・・
疲れた!ww
頭がSF小説用に切り替わってなかったのもあるけど、とにかく登場人物が多い。50ページを過ぎる頃からノートに人物相関図を書きながら読んだぞ。
SFなので反物質だとか核融合なんちゃらだとか、まぁ、聞きなれない言葉もたくさん出てくるし、けっこう頭を酷使したな。
じゃぁ、頭を酷使したから、疲れただけで面白くなかったかと言えば答えはNoだ。
これ、面白い!
面白いというか、いろいろ示唆に富む小説。
どういう小説なのかを文庫本の背表紙から引用すると、
第三次世界大戦の傷もようやく癒えた2040年、アルファ・ケンタウリから通信が届いた。大戦直前に出発した移民船<クヮン・イン>が植民に適した惑星を発見、豊富な資源を利用して理想郷建設に着手したというのだ。この朗報をうけ<メイフラワー二世>が建造され、惑星ケイロンめざして旅立った。だが彼らを待っていたのは、地球とはあまりにも異質な社会だった・・・現代ハードSFの旗手がはなつ壮大なスペース・ドラマ!
って紹介されてる。
新天地ケイロンで高度な文明を築いてる最初の移民船の世代、そのケイロンに向かう「様々な思惑を持った人間」の乗る第二の移民船・・・。
この小説が描いてるのは宇宙人(エイリアン)対人間、アンドロイド対人間というありきたりな構図じゃなくて、人間対人間を描いてる。どちらも地球人だ。
この小説はプロローグ、第一部<メイフラワー二世>の旅、第二部ケイロン人、第三部フェニックス、エピローグで構成されてる。
まずは第一部、移民船がケイロンに到着するまでを描いてるわけだけど、人間関係が煩雑ww
もうね、現代社会そのまま、「様々な思惑を持った人間」が乗り込んでるわけ。当然、そこには好き嫌いの感情もあるし、良からぬ事を考える人間も居る。この第一部を読み終えるまでが難所かもしれない。
だけど、これが後で生きてくる。
第二部はケイロンに到着した地球人と最初の植民者たちとの接触、生活が描かれる。
ここで生きるのが第一部でしつこいぐらいに描かれた地球人たちの行動原理。彼らの行動原理は名声、富、名誉、いわゆる「欲望」に動かされてのものだけど、最初の植民者とその子孫たち(ケイロン人)にはそんな欲望は無い。
この対比が強烈!
第一部は少々退屈だけど、第二部からは加速度的に面白くなる。
もうね、いろんな疑問が読者の頭に渦を巻いて沸き上がってくる。
ケイロン人の第一世代は移民船の中で生まれコンピューターによって育てられたんだけど、そういう環境で育った人間とその子孫には、他人を嫉妬したり、妬んだりする性質が無いんだろうか、とか、攻撃的な<メイフラワー二世>の人間をどう思ってるんだろうかとか・・・。
ケイロン人の生活も実に興味深く描かれてる。
明確な肩書を持った指導者は居ないのに高度な文明社会を維持、暮らしている人たちはみな幸せそう(ここでも対比が利いてる)。
なにしろ・・・
通貨もない!
欲しいものは何でも手に入れる事が出来る生活。そして、ここでも興味深いのはケイロン人たちは地球人のように物欲が無い。彼らを動かしているのは何なのか?もむちゃくちゃ気にかかるところ。
オレみたいな単細胞な人間は、〇〇が欲しいから働こう、△△したいから金を貯めようとか考えるし、そのために働くわけだけど、ケイロン人は違うんだよな。
自分に出来る事で役に立つ、自分に出来る事で尊敬される、そういう気持ちで動いてるようなのだ。
ケイロン人の社会って理想の共産主義にも見えるんだけど、もっと感じるのは・・・
人類の進化した姿?
って事。
そりゃ、メイフラワーでやって来た人間たちは戸惑うよなww
根本的な価値観が違うわけだし・・・。
この戸惑いがやがて過激な行動を取らせる引き金になる。
第三部は怒涛の展開だ。
地球人とケイロン人との対比を描いてきて、いよいよどちらの価値観に軍配が上がるのかと思いきや、ここで描かれるのは地球人vs地球人の戦い。地球人vsケイロン人じゃない。
ケイロン人も厳密には地球人だけど、ここでは<メイフラワー二世>でやって来た集団を地球人と呼んでおこう。
武力を用いてケイロンを支配下に収めようとする過激派、ケイロン人に同化・共生しようとする穏健派。言葉で書くと過激派ってなるけど、よくよく考えてみれば、この過激派の一派って、現代社会の人間と変わらない。要はこれまでの社会習慣を捨てきれない守旧派、地球以外の惑星でも地球式の生活習慣を送りたい人間。醜い思惑が透けて見えるから好きにはなれないけど、これって、同じ立場になればどちらの側に立つかオレは自信ないぞww
ラストをあれこれと書くのはネタバレに繋がるし、これから読んでみようって人の楽しみを奪う事になるから書かないけど、いろいろと考える事の多い小説だった。
ケイロンの社会は理想の社会のようにも見えるし、そういう社会で生活してみたいって気にもなる(ちょっと気になる描写もあるけど、ここでは割愛)。
こういう高度に文明化社会ではケイロンのような社会が成立するのかどうかは、それを構成する人間にかかってると思うけど、この小説の中では明らかにケイロン人と地球人は異なる種族として描かれている。もちろん生物学的には同じ人間だけど、やっぱり違うんだよな。
ただ単に価値観の違いというより、「コンピューターによって育てられた」第一世代とその子孫、価値観云々の前に・・・
進化した人類!
のようにも見える。
この先、AIを含めて科学技術はこれまでの100年とは比べようもないぐらい進歩するんだろうけど、これから先の100年、人間はどう変わっていくのか、そんな事を考えた一冊。
科学が進歩して人間も変わるのか、それとも高度に発達した科学に置き去りにされ時代遅れのままの人間でいるのか・・・
どっちが人間にとって幸せなのか、オレが解るわけもないけどなww
この本を読んで思い出したのが御三家の一人、A・C・クラークの『幼年期の終わり』。
SF史に残る傑作だけど、あの本では人類の進化がテーマになってた。
人間はどこに向かうのか、興味深いな。
同居人の下書きチェック

人間はどこにも行かないのだわ!

オレが言ってるのは進化のことだ

人間は人間なのだわ
サルがサルのままなのと一緒!

・・・・・・

進化論なのだわ^^

・・・・・・
ダーウィンも知らないくせに進化論って言葉だけは知ってやがる(泣)
そうそう、今回はAmazonのマーケットプレイスで古本の『断絶への航海』を買ったんだけど、お値段は驚きの1円!
1円だぞ、1円!
だけど、送料が350円ww
まっ、350円で極上の読書が出来たんだから何も文句はないけど。
それよりも感慨深いのは、これ・・・。
1992年の十一刷!
30年近く前に誰かが読んだ文庫本が、今、オレの手の中にある。
一口に30年って言っても相当なもんだろ。
30年前、この本を買って読んだ人が、読んだ後に何を想ったのか訊いてみたい・・・。
てか・・・
30年前って、オレ、何をやってた?ww










コメント