オレが子供の頃、夜になるとテレビでは毎日のように洋画が放送されてた。
荻昌弘の「月曜ロードショー」、水野晴郎の「水曜ロード―ショー」、高島忠夫の「ゴールデン洋画劇場」、淀川長治の「日曜洋画劇場」って感じで、ほぼ毎日、いろいろな外国映画を放送してた。
で、たしか小学生の低学年の時にテレビで観た映画で、かなり衝撃を受けた映画がある。
なんて言う映画かというと『招かれざる客』だ。この映画は今でもオレの中ではベスト10に入るほどの名画(もちろんDVDも持ってるぞ)。
1967年製作のアメリカ映画だけど原題はGuess Who’s Coming to Dinner。
どんなストーリーかと言うと、西海岸に住む裕福な白人夫婦の元へ一人娘が帰省して来るんだけど、結婚したい人が居る。彼を紹介したいから一緒に連れてきている、なんて言いだす。
どんな相手かと言うと・・・
黒人!
裕福な白人夫婦は可愛い一人娘が連れてきたのが黒人なので困惑。そりゃ1967年当時だと、まだまだ人種差別意識は根強い時代だからな。
黒人だけど優秀な医師である彼は、白人の老夫婦の気持ちも理解しているし、愛する一人娘の気持ちも解ってる。
そんなところへ黒人医師の両親も登場。こちらの両親も困惑を隠しきれない。一人息子がよりによって裕福な白人の娘と結婚すると聞いて、うろたえるばかりなんだけどね。
この映画が素晴らしいのは当事者(黒人医師と白人の娘)の気持ちの表現はもちろんだけど、娘の両親と黒人医師の両親の心の揺れを見事に描き切ってる。
どんな結末かを書くほどヤボな事はないので書かないけど、素晴らしい結末なのは間違いない。
初めてこの映画を観た時は、子供心に思ったもんなぁ・・・。
アメリカって凄い!
人種差別が有る事は知識として知ってたけど、こうして映画で観てアメリカの抱える問題が目の前に具体的な像となって現れたってわけ。
もちろん母親役のキャサリン・ヘプバーンは2度目のアカデミー主演女優賞を受賞(生涯で4度も受賞してる大女優だ)。父親を演じたスペンサー・トレイシーも主演男優賞にノミネートされてる。
じゃぁ、作品賞は獲れたのかって言うと、この『招かされざる客』はノミネート止まり。監督のスタンリー・クレイマーもノミネートされただけ・・・。
当時のアカデミー賞に人種的偏見が有ったのかどうかは知らないけど、まぁ、1967年のことなんで無かったとは言い切れないだろうな。
どっちにしても『招かれざる客』はオレの中では最高レベルの人間ドラマなのは間違いないんだけど・・・。
そろそろ今回の話の本題に移ろう。
昨今はアカデミー賞の多様性を問う声も多かったし、それに反発するような形で受賞作やら男優賞なんかが決まってるような気もする。実際、主な賞の受賞者は有色人種ばかりって年もあったし。
これまで白人ばかりが受賞してたアカデミー賞では異例の年とか言われて、けっこう騒がれたっけな。そういう渦中の数年間に作品賞を受賞したのが『グリーンブック』。
って事で、今回は『グリーンブック』を観ての率直な感想を書いてみようか。
2018年のアメリカ映画だけど、この映画は封切りの時は観てなかったんだよなぁ。
評判になってたのは知ってたし、観よう観ようと思ってるうちに映画館での上映が終わってたww
そんな訳でこの映画の事は忘れてたんだけど、先日、某記事のコメントでこの映画を薦められたので、善は急げ、さっそくU-NEXTで観てみた。
いつものように、さっさと先にオレの結論を書くと・・・
良い映画!
なるほどな、これならアカデミー作品賞に値するだけの内容。
今年の作品賞は訳の分からない韓国映画が作品賞を受賞してたけど、あれに比べたらはるかに格調高い映画。
この映画の事は知ってる人も多いだろうし、今さらグダグダとストーリーを書かないけど、端的に言うと白人と黒人のロードムービー。
上品な黒人ピアニストが粗野で無学な白人を運転手兼ボディガードとして雇うわけで、この二人の目的は1960年代のアメリカ南部(まだまだ人種差別が激しい土地)をコンサートツアーでまわる事。
最初は黒人に対して若干の偏見を持ってる白人運転手だけど、このピアニストと触れ合ううちに肌の色を超えて人間として認めるようになるわけ。二人の間に友情みたいなものが芽生えていく様を描いてる映画だけど、うん、オレはこの映画はよく出来てると思う。
時代も時代だし、車でまわってる土地は南部なんで、いろんな出来事が起こるんだけど、見せ場は雨の中で黒人と白人の二人の主人公が言い争う場面。
この二人、どちらも心の底に鬱屈が溜まってるんだけど、白人運転手がこんな事を言うんだよね。
リトル・リチャードも知らないアンタよりは、俺の方がよっぽど黒人だ。
アンタは城のてっぺんに住んでるけど、俺は生まれた時から地べたに住んでる。
家族も居るし、家族のためにこうやって働いてる。
俺の方がアンタなんかより黒人らしいだろ!
コンサートでは金持ちの白人にチヤホヤされるけど、一歩会場を出るとニガーと呼ばれて差別される黒人の主人公。カーネギーホールの階上に住み、普通の黒人よりはるかに恵まれた生活を送ってる彼だけど、こんな事を言う・・・
If I’m not black enough, and if I’m not white enough, and then what am I?
私は完全に黒人になれないし、白人にもなれない。
だとしたら、いったい私は何者なんだ!?
この黒人主人公の言葉にはもう一つ意味が含まれていて、彼はゲイ。
映画の中でもゲイ行為をしていた容疑で警察に捕まってるんだけど、あの当時のアメリカだろ・・・ゲイってのはけっこう白眼視されてたわけで・・・。
コンサート会場では白人のようにもてなされ、街に出ると黒人として差別され、ましてやゲイ・・・この言葉には黒人主人公の苦悩がよく表れてる。
もっともオレならこう答えてやるけどな。
お前はお前!
オレはオレ!ww
何者なんだって考える事ほど疲れる事は無い。
何者にもなれないから、自分は自分らしく居るだけで良いと思ってるんだけどww
話が脱線しそうになった。
まっ、何だかんだで旅を終え、ニューヨークに戻ってきた二人。
映画らしいラストシーンはほっこりさせられる。
これは映画を観た人じゃないとわからないかもだけど、ラストで白人運転手の奥さんが言う言葉が良いぞ。
何て言うかは書かないけど、この一言に夫婦愛が詰まってる。
どんな立派な手紙を書いて送ろうとも自分の夫の事は解ってる(誤魔化せない)って事で、そこまで旦那の事を理解してるのは愛してる証拠だろ。
全てが解決、大団円って言うような大袈裟な結末じゃないけど、こういうラストは好きだな。
今回、初めて『グリーンブック』を観たけど、ストーリーといい音楽といい役者の演技といい、オレにとっては・・・
非の打ちどころがない!ww
と、褒めたところで気になる意見がちらほら目に止まった。
どんな意見かというと、この映画はwhitesplaining(ホワイトスプレイニング)だって批判。
こういう記事がたくさんネットに出回ってるんだけどね。
ホワイトスプレイニングって何だ?って事だけど、要は白人が有色人種に対して(人種差別などについて)、偉そうに(上から目線で)説明・解説・説教する事。
「白人の救世主」なんて呼ばれ方もあるようだけど、窮地に陥った有色人種を白人が助け出すって構図で、昔の映画にありがちな表現だ。
オレなんか日本人なんで、もちろん白人でもないし黒人でもないから、実際に白人の気持ち、黒人の人の気持ちはわからないけど・・・
この映画のどこがホワイトスプレイニングなんだ?
って感覚だけどな。
そりゃ、昔の西部劇なんかはインディアン相手にそういう映画は多かったけど・・・。見方によっては『荒野の七人』なんかもその種の映画になるだろ。
だけど、この『グリーンブック』がホワイトスプレイニングってのは違うような気がするけどなぁ。この映画ではたしかに白人運転手が黒人のピアニストを助ける場面も多いけど、反対に黒人ピアニストから白人運転手が学んでる事もたくさん有る。
お互いがお互いを認め合う様を描いてるわけで、どちらかが一方的に差別したとかしないとか、何かを教えたとか教えられたとか、そんな映画じゃないと思うぞ。
一度ケチが付き始めると、アレコレとケチを付けたがるのが最近の風潮なのか、ホワイトスプレイニング云々以外にもいろいろ報道されたのは記憶に新しいところ。
アカデミー授賞式では作品賞が発表された時にスパイク・リー監督が退出しようとしたとか・・・。
自身の作品もノミネートされてたんだから、受賞を逃して悔しい気持ちはわかるけど、退出しようとしたってのは、日本人のオレなんかには理解出来ない無礼な振る舞いww
他にも黒人ピアニストの遺族がこの映画を「ウソの交響曲」と非難して、黒人ピアニストと白人運転手の関係を誇張しすぎだと批判したとか・・・。
だけどなぁ、映画を観終わったから言うわけじゃないけど、この映画は、
ドキュメンタリーじゃないだろ!?
シャーリーという黒人ピアニストとヴァレロンガという白人運転手が1960年代にアメリカ南部をコンサートツアーしたっていう史実に基づいた映画であって、それを忠実に再現した映画(ドキュメンタリー)じゃない。
オレには重箱の隅をつつくような批判にしか思えない。
普通に一本の映画としてみれば、この映画は、
よく出来てるから!
もちろんドキュメンタリーにウソが有ったらまずいけど、「史実に基づいた映画」であってドキュメンタリーじゃないからな。
スパイク・リーがネチネチと批判するのは大人げないとしか思えないし、そもそも白とか黒とか考えてるから、そういうホワイトスプレイニングなんて話が出てくる。
そういう事を言ってる人間こそ、心の底に人種差別的な意識があるんじゃないか、とさえ思えてくるww
白でも黒でも黄色でも良いんだけど、何色だって・・・
同じ人間!
人間と人間が肌の色を超えて解り合っていく様を描いた『グリーンブック』はアカデミー作品賞に値すると思ってる。
いつものバイト君の下書きチェック

最近、アカデミー賞のネタが多いですね

これは観てなかったからな
これなら作品賞としても格調高い映画だわ

ホワイトスプレイニングじゃないと?

当たり前!
そんな事を言うなら『荒野の七人』も『駅馬車』もホワイトなんちゃらになるわ!

・・・・・・

意識の根っこに白とか黒とか思ってるから、そんな言葉が出るんだろ
白でも黒でも人間!

なんで興奮するんですか!

白人のジョン・ウェイン主演の『駅馬車』を褒める連中が、同じ口でホワイトなんちゃらって言ってるのが気に入らんww

・・・・・・
もう何十年も前にアメリカで爆発的にヒットしたテレビドラマで『ルーツ』ってのがあるけど、アフリカから連れて来られた黒人奴隷から始まってその子孫を代々ドラマにしたもの。
あれなんか壮大なホワイトスプレイニングになるんじゃないのかww
映画なんて、一つの作品を観て、それを好きか嫌いかで判断するだけ良い。
そこにホワイトスプレイニングだの、遺族の証言だのを引っ張り出してくる必要はないだろ。
肝心なのは、その作品を自分が・・・
好きか嫌いか!
それ以外に何が必要なんだ。
そんな訳でこの映画も『招かれざる客』と並んで記憶に残る映画になった。
てか、ふと思ったんだけど、肌の色の違いは人間にとって超えていける壁だと思う(多少の困難はあるかもだけど)。
それよりももっと高くて超えられそうにない壁は・・・
思想の壁!ww
この辺の話を書くと長くなりそうなんで、別の機会にしとこう・・・。






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