ブログなんてものを書いてる人は、自分の文章に気を遣ってる人が多いんじゃないだろうか。
もっと解りやすい表現はないか?とかもうちょっと簡潔に書けないか?なんて頭を悩ませてる人も居ると思う(オレだけか?ww)
専門的な何かに特化してるブログならまだしも、オレが書いてるような「ほとんど殴り書きのような雑記ブログ」でも少しは「伝わりやすい表現」ってのに気を遣ってる。
誰にも見せない日記ならともかく、こうしてネットの海に公開する文章・・・いつ誰の目に触れるかわからない。
どうせなら伝わりやすい文章で書きたい!
ってのが人情ってもんだろww
ブログってのが広く認知されるまでは、個人のホームページなんてのが流行ってて、それこそホームページ・ビルダーなんて言うソフトがかなり売れてた時代もあったけど、あの頃って個人のホームページに日記を公開してる人も多かったな(それが現在のブログへと続いてるんじゃないか?)
当時はオレも個人でホームページを作ってて、そこでは映画や小説なんかのレビューをしてたんだけど、別コーナーで日記なんてのも書いてた。
でね、その当時から思ってるんだけど・・・ホームページ上の日記にしろブログにしろ「他人に見られる事を前提に書いてる雑文」は・・・
エッセイのようなものじゃないか!?
エッセイなんて本屋に行けばお手本になりそうなエッセイは山のように並んでる。
そんな訳で、今回はちょっと面白いエッセイを読んだのでその話を書いてみようか。
オレぐらいの年代の人だとエッセイと聞くと團伊玖磨の『パイプのけむり』を一番に思い浮かべる人も居るだろうな。團伊玖磨って人は作曲家でありエッセイストでもあった人だけど彼の書く『パイプのけむり』はシリーズ27巻を数える名エッセイで、オレが中学・高校生の頃はどこの本屋にも並んでた大人気シリーズ(今じゃ探す方が難しいけど)。
国語の授業なんかでよく言われたのが、「團伊玖磨のような文章を書くように」・・・。
日常の一コマを切り取りながら、そこに人生の機微だとかちょっとしたユーモア、生きていく知恵なんかが書かれてた。
まぁ、普通の中高生がそんな文章を書けるわけもなく、團伊玖磨のエッセイを読んでは「面白いなぁ」と素直に感心するのが関の山だったww
文章といえば志賀直哉なんかも学校で参考にするように言われた記憶が有る。なにしろ「小説の神様」と呼ばれる人の文章だ、同業者からも一目置かれていたというその文章はなるほどわかりやすくて簡潔。
團伊玖磨だとか志賀直哉って言われても、もちろん中高生で真似できるわけもないし、それは数十年経った今でも出来ないことは自分でも痛いほど実感してる(泣)
そういう訳で、日々、上手い文章を書けたらなぁと思ってるんだけど、この前フラリと入った本屋でたまたま見つけたエッセイが思いのほか面白かった。
何かというと、これ・・・。
村上春樹の『村上ラヂオ 2』だ。
今の日本人なら知らない人は居ないんじゃないか(アンチも含めてw)と言うほどの超メジャー作家、村上春樹が書いたエッセイ。
彼の小説はいろいろ読んでるし、彼の聴く音楽もオレと重なる分野(ジャズ)なんかはよく聴いてるんだけど、彼の書くエッセイを読んだ記憶はほとんどない。遥か昔に読んだ事が有るのかもしれないけど、記憶に残ってないんだから印象としては何も残らない薄いものだったはず。
どんな内容なのか背表紙を確認してみると、村上春樹が雑誌『アンアン』に連載してた人気エッセイをまとめたものらしい。
ちょっと驚いたな。
あの村上春樹が連載!?
しかも『アンアン』だと!?
オレでも知ってるけど『アンアン』ってのは女性向けのファッション誌かなにかだろ。
俄然、興味が湧いてきた。
どんなエッセイなんだ?
とりあえず買ってみることにしたぞ。
『村上ラヂオ 2』って言うぐらいだから、当然『~1』もあるものと思って探してみたけど無かった。仕方ない、ここは『~1』を飛ばす事になるけど、まぁ、エッセイなんだし問題ないだろ。
買って帰った・・・。
この本の内容について、ちょっと背表紙から引用しておこうか。
なぜ、アボカドはむずかしい? 究極のジョギング・コースってどこだろう。アザラシのくちづけの味、ギリシャの幽霊、ロシアと日本のかぶをめぐる昔話の違い・・・etc。小説家の抽斗から飛び出す愉しいエピソードの数々。長編小説『1Q84』刊行後、雑誌『アンアン』に連載された人気エッセイ・シリーズ52編を収録する。
って書かれてる。
で、一気読みしたんだけど(たとえエッセイと言えども、つまらないものは一気読みはできない)、このエッセイ・・・
すこぶる面白い!
あまりの面白さにAmazonで『~1』と続編の『~3』を注文したほどだww
う~ん、面白いって言葉は適切じゃないかもしれないな・・・。
オレなんか語彙力がほとんど皆無なんでね、簡単に「面白い」って言葉で片づけてしまいがちだけど、このエッセイの何が気に入ったかを書く方が良いかも。
気に入ったのは、このエッセイの持つ・・・
空気感!
團伊玖磨のエッセイのように人生の機微に触れるものも無いし、向田邦子の書くエッセイのような庶民的な匂いもしない。そもそも庶民はナイキのジョギング・コースを走る機会もないし、北欧の国々を車で走る機会も滅多にないだろww
村上春樹のエッセイを読んで、勇気を与えて欲しい、とか、生きていくヒントを得たい、なんて思うのは読む本を間違ってるww
村上春樹のエッセイは・・・
空気感を楽しむもの!
だと思った。
いつも書いてるけど、村上春樹の小説に出てくる男はモテるし、会話も雰囲気もお洒落。
これはエッセイでも同じだな。
妙に惹きつける魅力がある。この空気感はクセになりそう。
一編は文庫本で3ページ、とても短いエッセイなんだけど、その3ページの中にもちゃんと「村上ワールド」が有る。
短い文章なのにしっかりと情景も浮かぶし、読んでいて心地いい。
この「心地いい」ってのはブログを書く上で(特にオレのような雑記ブログ)は意識した方が良いんじゃないかと、今さらながら気が付いたぞww
文庫本3ページって言うと、オレが書くブログ記事の一つとだいたい同じぐらいの文字数になると思うんだけど、村上春樹のエッセイとオレの殴り書き・・・
大違い!ww
そりゃ、比べること自体が無謀も無謀、厚かましいってのを通り越してほとんど狂気の沙汰だってのは自分でも理解してるけど、出来ることならあんな風にわかりやすい文章を書きたい。
どこが違うんだろうか、ジ~ッと考えてみたけど、うん、どこが?と言うよりも、そもそも人間性が違う事に気が付いた。
オレみたいにガサツな人間には、あんな透明感のあるわかりやすい文章は一生かかっても書けない・・・。
だけど、そこで諦めてたら面白くないだろ。
村上春樹のエッセイは雑記ブログの一つの教科書になると思ったし、あんなスタイルを目指してみるのも勉強になる。
雑記ブログを書いてる人は参考にしてみるのも良いと思うぞ。
いつものバイト君の下書きチェック

よりによって村上春樹と比べるとか・・・

・・・・・・

厚かましい!ww

比べるというか、あの空気感は雑記ブログの一つの到達点じゃないかって・・・

それぞれ個性のある文章が溢れてるからブログが面白いんですよ
誰もが村上春樹みたいな文章のブログになったら、面白くないでしょww

あ~、そういう考え方もあるな^^

そもそも、村上春樹のエッセイって・・・

ぁんだよ?

あの人は自分のことを「僕」って書いてるでしょ
マサトさんみたいに「オレ」なんて書かないしww

・・・・・・

根っこの部分から違うのに、真似するなんて無理!ww

・・・・・・
このエッセイの中で村上春樹がこんな事を書いてる。
雑誌にエッセイの連載を持っていて、あらためてこんなことを言うのはなんなんだけど、エッセイを書くのはむずかしいです。
~(中略)~
僕は本来は小説家なので、小説を書くことはそんなにむずかしいとは思わない。
~(中略)~
それに比べると、エッセイというのは僕の場合、本職でもなく、かといって趣味でもないので、誰に向けてどういうスタンスで何を書けばいいのか、もうひとつつかみづらい。
むずかしいと言いながら、これだけのエッセイを書く村上春樹・・・。
もちろん太刀打ちできるわけもないけど、少しぐらいお手本にするのは自由だろ。
とりあえず自分のことを「オレ」と書くのは止めようかなww










コメント